会堂建築(1) 工事契約を交わしました

山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。
わたしはそれを喜び、栄光を受けると
主は言われる。
『ハガイ書』 第1章8節

 1月28日(日)、創立65周年を覚えつつ礼拝が守られた聖日の午後、ペテロ建設と新会堂・牧師館建築の契約を交わしました。「解体工事契約書」、「工事請負契約書」、「業務委託契約書」、「確認書」の四通に、牧師とペテロ建設代表取締役の小林実氏が署名、捺印しました。これらの契約書は、役員のS兄が「教会の歴史に残すべき大切な文書だから」との祈りをもって書き起こして下さったものです。

 いよいよ建築に向けて実際的な話し合いや作業が始まります。まずは、6月に予定されている現会堂・牧師館の解体に向けて、さまざまな準備を行っていかなければなりません。どんなにたいへんでも後戻りはできません。ただ信仰をもって前進するのみです。《わたしはそれを喜び、栄光を受けると主は言われる》と、御言葉には語られています。《それ》とは、神殿のことではありません。神殿を建設するための労苦のことです。主は、わたしたちが主のために労苦することを喜んで下さるのです。

 もうひとつ、この御言葉はバビロン捕囚から解放されたエルサレムに帰還した人々にむかって、預言者ハガイが神殿再建を呼びかけた言葉です。実はこれより20年も前から神殿再建が目論まれていましたが、工事は思うようにはかどりませんでした。帰還したばかりで誰もが経済的困窮のなかにあり、誰もが自分の生活を立て直すことで汲汲としてしていたからです。そのようななか、ハガイは、主のために身を起こし神殿建築の再開せよと、民に檄をおくります。神様の喜び、神様の栄光を求めて生きることによってこそ、わたしたちのすべての生活が神様に祝福される生き方だという信仰です。イエス様が「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」と言われた信仰と同じです。

 教会員一同が心をひとつにし、信仰をもって会堂建築という主のご委託にこたえてまいりたいと願います。さまざまな労苦があるとしても、神様は、わたしたちの労苦を喜び、ご栄光を表して下さると約束してくださっています。

イエス様に感謝する

そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。 この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。
『マルコによる福音書』第14章4-5節

イエス様を救い主として知る者にとって、300枚の銀貨を惜しみなく捧げることは、けっして《無駄遣い》ではありません。イエス様は、あなたに神の愛と保護と希望を与えてくださいました。それに対して、ベタニアの女は自分がもてるものの中で一番ふさわしいと思うものをイエス様に捧げました。それがナルドの香油です。しかし、もし彼女の家にそれ以上のものがあったら、迷わすそれを捧げたことでしょう。私たちはイエス様を崇めるために何をもっているでしょうか。礼拝とはそれを捧げることです。

神の同労者

わたしたちは神の同労者である。
『コリントの信徒への手紙1』第3章9節(口語訳)

奉仕は楽しいことばかりではありません。色々な苦労が伴います。協力を得られない時があります。自分に向いていないのではないかと悩むときもあります。しかし、あなたは神の同労者なのです。あなたがいなければ、神様は御業をなすことができないわけではありません。それでも、あなたと共に御業をなさろうとされるのです。恐れ多いことです。しかし、感謝なことでもあります。放蕩息子は、雇い人のひとりにしてもらおうと父の家に帰りました。しかし、彼は子として父と共に働くことがゆるされました。神の父として愛があなたを同労者としたのです。苦労はしても、神の子らとしての喜びをもって、自分の務めに励みたいものです。

*パソコンの故障のため、更新が遅れました。

ロマ書(181)旧約聖書とイエス様②

聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。(4:3)

 旧約聖書ならば、イエス様の時代の律法学者やファリサイ人、サドカイ人と言われる人たちこそ熱心に読んでいたのではありませんでしょうか。それにもかかわらず、彼らは、聖書の言葉が、イエス様と結びつきませんでした。聖書の正しい読み方をしていなかったからです。

 イエス様は、そのような彼らを批判して、こう言われました。

あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。

 どんなに熱心に聖書を研究したとしても、イエス様のことを知ろうとして読むのでなければ、聖書から正しいメッセージを汲み取ることはできません。よく言われることですが、新約聖書のひかりに照らして、旧約聖書を読むことが大事です。そうすると、旧約聖書が、新約聖書を裏打ちすることになります。こうして、私たちの信仰は、聖書によって深められていくのです。

 難しいことを言っているように聞こえますが、実は、私たちは、すでにイエス様を知っているですから、どう読んだとしても、つまりあまり意識しなくても、新約のひかりで旧約聖書を読むことになります。自然に、そうなるのです。従って、あまり気張らずに、旧約聖書を読んでみることをお勧めしたいと思います。そして、聖書に裏打ちされたしっかりとした信仰を持つ者にされたいと願います。



かごを満たす恵み

集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。
『ヨハネによる福音書』第6章13節

神様は、自分の健康を祈り求めるパウロに、「わたしの恵みはあなたに十分である。」(2コリント12:9)と言われました。不足と思える自分の賜物も、多くの人のかごを満たすのに十分な豊かさをもっているのです。さらに上記の御言葉は、惜しみなくひとの喜びのために自分を献げて仕えるならば、神様ご自身が空になったわたしたちのかごを十分以上のもので満たしてくださることを語っています。ただし、それを味わうことができるのは、自分を尽くして神様と人に仕えたときだけであることを知らねばなりません。自分のために貯えておこうとする者は、神様の恵みの豊かさを味わうことはできないのです。

日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

リンク
最新記事
カテゴリ
最新コメント
カレンダー
01 | 2018/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 - - -
FC2カウンター
QRコード
QR
グーバーウォーク
検索フォーム