ロマ書(197)信仰の父アブラハム

更にまた、彼は割礼を受けた者の父、すなわち、単に割礼を受けているだけでなく、わたしたちの父アブラハムが割礼以前に持っていた信仰の模範に従う人々の父ともなったのです。(4:12)
割礼は、救いのしるしとして、アブラハムとアブラハムの子孫に贈られました。しかし、それがかえって、キリストの救いを信じる福音信仰の妨げとなってしまった、ということを考えてみましょう。それは、救いのしるとしと与えられた洗礼も、間違えればまことの信仰の妨げになり得るということではないでしょうか。そのためにも、割礼を受けたユダヤ人も、割礼を受けていないけれども洗礼というしるしをいただいたクリスチャンも、アブラハムの信仰にきちんと立ち帰られなければなりません。アブラハムこそ、割礼を受けた者にとっても、割礼を受けていない者にとっても、信仰の模範として歩むべき信仰の父なのです。信仰によって義とされたアブラハムの信仰、その足跡を踏んで生きるならば、私たちもまた、アブラハムの子なのです。


祈りと忍耐

涙と共に種を蒔く人は
喜びの歌と共に刈り入れる。
『詩篇』第126編5節

信仰生活はしばしば聖書のなかで農夫の生活に喩えられます。農民の生活の一番の特徴は何でしょうか。それは祈りと忍耐と感謝です。惜しみない努力を注ぎながらも、蒔いた種を芽生えさせるのも、実らせるのも、すべては自然の恵みだからです。だから、農夫は祈りと忍耐と感謝を忘れません。人生も同じです。知恵や力も必要です。勤勉さも必要です。けれども、実りを与えてくれるのは神の恵みなのです。人生にも祈りと忍耐と感謝が必要です。それが信仰生活です。良い日も、悪い日も、恵みの神様に感謝しつつ、祈りと忍耐をもって為すべき務めを励みましょう。

ロマ書(196)割礼は救いの条件ではない

どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか。それとも、割礼を受ける前ですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受ける前のことです。アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。(4:10-11)

 9節には、罪がゆるされる幸せは、割礼を受けた者だけに与えられることなのか、割礼のない者にも与えられることなのか、と尋ねられていました。

 割礼は生まれてきた男の子の肉体に傷をつけ、それを自分たちが神に選ばれた民であることのしるしとするユダヤ人の儀式です。割礼の問題など、自分に関係がないと思うかも知れません。現に、私たちは割礼なしに、イエス様を信じる信仰によって救いに入れられています。しかし、「割礼」を「洗礼」に置きかえてみたら、どうでしょうか。割礼と洗礼は同じものとは言えませんが、どちらも救いのしるしとして、神様から与えられるものです。罪ゆるされ、神様との交わり、自然との交わり、隣人との交わりを回復されて、幸せに生きることができるのは、洗礼を受けたものだけなのか。それとも洗礼を受けていないものも救われるのか。

 その答えが、10節~11節に記されています。要するに、信仰がまず先にあったのだ、ということなのです。救いのしるしとは、救われるためのしるしではなく、救われたことへのしるしなのです。救いの条件ではありません。神様が救いと共に贈って下さる恵みなのです。これは割礼だけではなく、洗礼も同じです。

ほんとうの願い

あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。
『ピリピ人への手紙』第2章13節(口語訳聖書)

「死にたい」と言っている人が、本当は死にたいわけではないことがあります。あれが欲しいとか、こうしたいとか、私たちにはたくさんの願いがありますが、よく考えて見ると、それは見栄であったり、代用や手段であったり、諦めであったり、他者の願いであったりすることも少なくないのです。心から余計な思いを取り去って、静かな心で自分の本当の願いを考えてみましょう。すると、それは案外シンプルなものであることに気づかされます。それこそ神様が与えてくださった自分の願いです。その願いに、もっと真っ直ぐに、シンプルに生きるならば、そこには必ず神様の御助けがあります。


会堂建築(2)解体工事はじまる

神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。
『コヘレトの言葉』3:11

5月27日(日) 61年間お世話になった会堂での最後の教会学校、そして聖日礼拝がまもられる。教会学校生徒の親御さんたちも会堂との別れを惜しんでこぞって出席される。午後は、会堂建築委員会でペテロ建設と解体前の打ち合わせをする傍ら、教会員で荷物整理。

5月28日(月) 牧師館引越。

5月30日(水) 朝夕に「聖書の学びと祈り会」。いつものメンバーが集まり、解体前の会堂での最後の集会が守られる。日中は教会内の荷物整理。ひとりでやるつもりでいたが、馬場そでさんと小渕一枝さんが手伝いに来てくれる。

5月31日(木) 午前9時から教会内の荷物整理。植木孝子さんが手伝いに来てくれる。午後は小渕一枝さんが手伝いに来てくれる。お陰で予定より早く終わり、小渕さんと共に解体の日を待つ会堂で感謝の祈りをする。夜、AAのミーティング。電気のブレーカーを落として帰宅。

6月3日(日) 町屋ふれいあい館での教会学校と聖日礼拝を守る。教会学校では、準備不足が否めず、歌詞カードや出席シールの用意ができなかったが、いつも出席する高校1年生の女子と新来の年長さんの女の子の親子が出席してくれる。礼拝には23名が出席。夕礼拝は町屋新生伝道所をお借りしていたが、来会者はなかった。

6月4日(月) 庭に荷物保存用のコンテナ二台のうち一台を設置。業者によって教会の荷物の半分を納められる。エアコンなど設置物が外される。

6月5日(火)  会堂の周囲に足場が組まれ、シートが張られる。

6月6日(水) 二台目のコンテナが設置され、残り半分の荷物が納められる。廃棄される残置物の搬出がされる。

6月7日(木) 重機により解体が始まる。

6月9日(土) 塔の十字架も引き下ろされ、会堂部分の90%が解体される。牧師館部分はまだ手つかずの状態。

日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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