神の風

風は思いのままに吹く。   
『ヨハネによる福音書』第3章8節

人生には様々な風が吹きます。心地よい風だけならいいのですが、思いがけないいたずらをしてく風もあれば、大切なものを吹き飛ばしてしまう強風、烈しい逆風が吹くこともあります。私たちはそれらの風を選ぶことも、風を操ることもできません。《風は思いのままに吹く》からです。しかし、聖書から《風》という言葉を拾い出して読んでみて下さい。すべての風は、神様のもとから吹き、神様の御心を行っていることが分かります(例 民数記11:31)。また、イエス様はその風をご支配することができるお方であることも分かります(例 マタイ8:27)。人間にとってままならぬ、やっかいな風も、実は神様の御心と御業を行うために吹く風なのです。

イエス様を思い続けるならば

話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
『ルカによる福音書』第24章15節

イエス様の死に落胆した二人の弟子が、道を歩いていました。話すことといえば、繰り返しイエス様の話ばかりでした。しかし、それは信仰を燃え立たせる景気のいい話ではなく、消えていく火を最後の瞬間まで名残惜しむような淋しい話です。たとえそうであったとしても、イエス様ご自身のことが語られているところに、イエス様は近づいてくださり、歩みを共にしてくださいます。そして、いつの間にか議論の主導権を握ってくださり、消えかかった火を、ふたたび燃え立たせてくださるのです。

自然のなかに働き給う神

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
『マタイによる福音書』第6編28節

花が美しい季節になりました。日本人は、草花を単なる鑑賞の対象物として見る以上の心をもって愛でてきました。古来の歌をよめば、咲き盛る花だけではなく、咲く前の花、散りゆく花、落ちて踏まれた花、枯れた花などが詠まれています。形状的な表面の美ではなく、花のもつ命に心を寄せて愛できたといってもいいかもしれません。それは、花でも鳥でも、自然のいのちに働いておられる神様の御業を見なさいと言われたイエス様の教えに通じるものがあったと言えるかもしれません。日本人の間違いは、自然を神様そのものとしてしまったことです。自然は神様ではありません。しかし、自然の中には生きて働き給う神様がおられ、ご自分を私たちに現して下さっているのです。

信仰の戦い

信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。
『テモテへの手紙1』第6章12節

注意して、御言葉を読んで下さい。信仰の戦いに勝利しなさい、と言われているのではありません。主は、私たちのために勝利され、永遠の命を約束してくださいました。しかし、それを疑わせ、私たちをイエス様から引き離そうとする力が、ほかならぬ自分自身のうちにあり、あらゆる戦いを挑んでくるのです。勝利の確信に留まり続けるために、私たちは不信仰と戦い、罪の誘惑と戦い、肉の弱さと戦い続けなければなりません。連戦連勝とはいかないでしょう。自分はもう駄目ではないかと弱気になることもありましょう。しかし、主の約束を思い起こし、倒れても起き上がり、戦い続けるならば、主が私たちに勝利の冠を授けて下さるのです。

関係性の豊かさ

彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」
『ヨハネによる福音書』第9章25節

彼は、イエス様について多くのことを知っていたわけではありません。しかし、イエス様が自分を救ってくださった方であることを知っていました。信仰は知識の豊かさや確かではありません。関係性の豊かさ、確かさです。祈り、感謝、喜び、平安、希望、すべてはイエス様と関係が豊かにされ、確かにされることによって、私たちに与えられます。関係性の豊かさはどのようにして与えられるのでしょうか。それは、学ぶことによってではなく聞くことによって、善行によってではなく真実さによって、イエス様と共に生きることによってです。
日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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