信じてはならない

人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。
『マタイによる福音書』第24章26節

主は「信じてはならない」と言われました。信仰とは、何でもかんでも信じることではなく、信ずべきものを信じることなのです。そのためには、いろいろなことを疑うことも大切です。自分が「絶対」と思いこんでいることはほんとうに絶対だろうか。「駄目だ」と思っていることはほんとうに駄目なのだろうか。世間では「備えあれば憂いなし」「一番大切なものは健康」とまことしやかに言われているが、それは本当だろうか。「イエス様こそ救い主である」という動かすことができない真理にに矛盾することを安易に信じていないだろうか。ほんとうの信仰は、自分を疑い、世間を疑い、イエス様を信じるのです。

愚直さ

偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。
『マタイによる福音書』第24章11節

神のしもべを自認しながら、巧みにキリストを否定する者たちが偽預言者です。彼らの敵意は当然、私たちキリスト者に向けられます。そのような敵意に屈せず、キリスト者がキリスト者であり続けるために必要なことは何でしょうか。先ず主はいつもそのような敵意に身に負い、愚かな者、田舎者、冒涜する者と非難され続けたことを覚えなければなりません。私たちは文化的であるとか、知的であるとか、倫理的であるとか、そのような世の基準ではなく、愚直なまでにキリストの御言葉に固執することで造り上げられる者でありましょう。それが偽預言者の影響を免れる道なのです。

感謝をしよう

もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です
『テモテへの手紙一』第6章6節

勤労には、報酬があります。大きな報酬を得たいならば、誰もしたくない仕事をするか、人よりも多くの働きをするべきです。しかし、信仰は勤労ではありません。信仰は、イエス様の血潮の恵みによって、無償で与えられた恵みに応えるための道です。信仰によって恵みを得るためには、まず恵みに感謝をすべきであると、御言葉は教えるのです。信じても何も良いことがないではないか、と不満に思う人は、与えられているものに感謝する心を思い起こしましょう。そのような信仰こそ、私たちの生を豊かにする最善の道なのです。

神の風

風は思いのままに吹く。   
『ヨハネによる福音書』第3章8節

人生には様々な風が吹きます。心地よい風だけならいいのですが、思いがけないいたずらをしてく風もあれば、大切なものを吹き飛ばしてしまう強風、烈しい逆風が吹くこともあります。私たちはそれらの風を選ぶことも、風を操ることもできません。《風は思いのままに吹く》からです。しかし、聖書から《風》という言葉を拾い出して読んでみて下さい。すべての風は、神様のもとから吹き、神様の御心を行っていることが分かります(例 民数記11:31)。また、イエス様はその風をご支配することができるお方であることも分かります(例 マタイ8:27)。人間にとってままならぬ、やっかいな風も、実は神様の御心と御業を行うために吹く風なのです。

イエス様を思い続けるならば

話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
『ルカによる福音書』第24章15節

イエス様の死に落胆した二人の弟子が、道を歩いていました。話すことといえば、繰り返しイエス様の話ばかりでした。しかし、それは信仰を燃え立たせる景気のいい話ではなく、消えていく火を最後の瞬間まで名残惜しむような淋しい話です。たとえそうであったとしても、イエス様ご自身のことが語られているところに、イエス様は近づいてくださり、歩みを共にしてくださいます。そして、いつの間にか議論の主導権を握ってくださり、消えかかった火を、ふたたび燃え立たせてくださるのです。
日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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