ロマ書(154)空の器

なぜなら、わたしたちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。(3:28)

 福音とは、イエス様がしてくださったこと、してくださることによって、私たちが救われることです。そのイエス様の救いを受け取り、その救いに生きることが信仰です。

 カルヴァンは、「信仰とは空の器である」と申しました。信仰それ自体は、何の価値もない、というのです。その信仰に価値をもたらすのは、イエス様の恵みです。イエス様によって与えられる神の恵みを受け取る器、それが信仰なのです。

 旧約聖書の預言者エリシャの仲間の預言者が死にました。夫が死んで、生活に困ったやもめが、エリシャに助けを求めてきました。エリシャは、「あなたの家には何があるか」と答えると、油が一壺のほか何もないという返事が返ってきます。そこで、エリシャは、隣近所に行って、「空の器をできるだけたくさん借りてきなさい。そして、その空の器に、油を注ぎなさい。」といいます。果たして、やもめがそのようにすると、一壺の油は、用意したすべての空の器をいっぱいに満たしました。やもめは、その油を売って、生活をしました。

 空の器自体は、何の価値もありません。価値があるのは、その中に注がれる油です。その油が、やもめの生活を支えました。信仰も同じです。信仰それ自体には、価値はありません。しかし、そこに注がれる神の恵みが、私たちを生かすのです。まことの信仰は、「信じる」という自分の行いによって生きるのではなく、「神の恵み」によって生きるのです。

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日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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