ロマ書(151)矮小化された救い

では、人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。信仰の法則によってです。(3:27)
  オウム真理教による地下鉄サリン事件から20年以上経ちます。当時、オウム真理教のみならず、幸福の科学などオカルトめく宗教が次々と誕生し、若者たちのブームを引き起こしていた時期です。統一協会の霊感商法が社会問題として騒がれたのも、この頃でした。わたしは、これをバブル経済の発生と崩壊よる日本社会のひずみだと考えます。

 とくに影響を受けたのが、若者たちです。フォークソング的な四畳半アパートの若者たちのライフスタイルが終わり、大人の消費社会に巻き込まれていきます。スキーとか、サーフィンとか、ジュリアナ東京とか、格好はいいけど、軽薄化していくのです。他方で、流行に乗れない若者たちが出てきます。ある意味、真面目な若者たちです。しかし、高度成長期が生み出した厳しい学歴社会のなかで、個性が否定され、与えられたことをきちんとできることだけが求められてきた若者たちは、自分で考えることができない。そういう若者たちが、生きる拠り所を求めたのが、オカルトとか、疑似科学、スピリチャルといわれる新宗教だったのではないでしょうか。

 その特徴は、世界救済などと宣伝しながら、自分一人の内面ばかりを見つめる宗教だったということです。しかし、教団のなかで達成した幸福感は、教団のなかでしか通用しません。普通は、それはおかしいと思うのですが、マインドコントロールがあり、また自分で考える力を失った若者たちの弱さがあり、教団を離れたところで行き場がない現実があり、畢竟、教団を絶対化し、世の中を否定するという発想に陥ってしまうのです。彼らの世界救済とは、世界がそっくり自分たちの教団になることにほかなりませんでした。

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日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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