ロマ書(149)イエス様がしてくださったことによって

このように神は忍耐してこられたが、今この時に義を示されたのは、御自分が正しい方であることを明らかにし、イエスを信じる者を義となさるためです。(3:26)
 イエス様が、ご自身を《罪を償う供え物》として捧げられた、もうひとつの目的は、イエス様を信じる私たちが、神の前に義とされるためです。私たちが、聖なる神の子、神の僕とされること、それが私たちの義です。わかりやすく言えば、何があっても、私たちは、神様がもっとも愛してくださる者となり、もっとも大切にしてくださる者となるということ、これが神の前に義とされるということなのです。

 このすべてを成し遂げるのは、律法を守ることによってではなく、割礼を受けることによってでもなく、ただイエス様の十字架の恵みであると、福音の中心が語られているのです。

 人生には、思いがけないことがさまざまにあり、ともするとそれに振り回され、怒ったり、泣いたり、恨んだり、呪ったりします。しかし、何があっても、どんな日でも、イエス様の十字架からわたしたちの救いが訪れます。イエス様は、神が神とされるために、そして私たちが神様の寵愛を受ける者とされるために、ご自身を捧げて下さったのでした。それならば、私たちが幸せでないはずがありましょうか。何があっても、そのすべてのことにおいて、神様は、自ら私たちの神である証しを立ててくださるのです。そして、私たちは、どんな日も、私たちに対する神様の愛を信じて、神様が自ら立ててくださる証しを仰ぐことができるのです。

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日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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