ロマ書(120)どうしたらいいのでしょうか

人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、(3:23)
 神学生の頃、深い暗闇のなかをさまよいました。学校では神学の勉強している。教会には週に三度も通っている。あらゆる集会に出席し、奉仕に勤しみ、十分の一の献金もしている。毎日、聖書を読み、祈っている。児童養護施設でボランティア活動もしていました。しかし、少しも罪から救われている実感がなかったのです。自分の魂の醜さだけが確かな現実として、私を覆っていました。

 そこから抜け出したくて、いよいよ熱心に御言葉を読み、祈りもました。しかし、何の答えも得られません。救いのことは頭では分かる。しかし、自分の経験として知り、救いの喜びを味わうことはありませんでした。

 こういう経験がありますから、私は、教会に行けば救われるとか、聖書を読めば分かると、安易に言うことができません。熱心に教会に通っても、聖書を読んでも、神様がわかならい人がいる。そういう人がいてもおかしくないと思うのです。

 ある青年が、イエス様のもとを訪ねてきて、《先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか》(『マタイによる福音書』第19章16節)と問いました。彼は、金持ちでした。健康的にも問題はなかった。宗教的には、学問も受け、律法をしっかりと守る真面目な青年でした。それにも関わらず、このように問うのは、この青年が神様との邂逅をいまだ果たしていないからです。彼は暗闇のなかをさまよい、苦しみ続けていました。

 どうしたら、この不安と空しさから抜け出して、満ち溢れた喜びに達することができるだろうか。どうしたら、みかけの生活の安定、安逸から、「神われらと共います」との平和を得ることができるだろうか。彼は、神様を求め続けていました。いったい、自分に足りないものは何なのか。どうにもならなくて、イエス様を訪ねてきたのです。

 しかし、彼は、何も得ることができないまま、イエス様のもとを立ち去りました。こういう人はどうしたらいいのでしょうか。

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日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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