ロマ書(111)神の子どもとして、父のみもとに行くこと

ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。(3:21)
 二人の盲人が、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちを憐れんでください」と叫びながら、イエス様の後をついていきました。イエス様は、しばらく彼らの叫びにお答えになりませんでしたが、やがて盲人たちを呼び寄せ、こう問われました。「わたしに何をして欲しいのですか」 

 イエス様を「主よ」と呼ぶことは正しいことです。「ダビデの子」と呼ぶことも正しいことです。「憐れんでください」と求めることも間違いではありません。しかし、なぜ、もっと率直に求めないのか。もっと素直に、心に願うことをわたしに言いなさいと言われるのです。立派な、整えられた言葉ではなく、子として、天の父を愛し、敬い、信じるところから出る言葉をもって御許に行き、素直に願い求めるようにと教えられたのです。

 すると、彼らは、「主よ、目をあけていただきたいのです」と答えました。これこそ、彼らのほんとうの祈りの言葉でした。イエス様は、これを聞くと、ただちに盲人たちの目に触れ、癒やしを与えてくださいました。

 私たちは、日々の生活で、大きな危機、小さな危機、さまざまな困難に遭います。その時、「神様は、実際に私たちの父であられる」という信仰をもって、神様の子どもとして御許に行き、単刀直入に、私たちの必要を申し上げ、神様の助けを求めればいいのです。《子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。》(『マルコによる福音書』第10章15節)と、イエス様はおっしゃっいました。必要なものを、恥ずかしがらず、躊躇せずに、両親に求める小さな子どもは、自分の願いを真剣に聞いてくれる両親の愛を信じているのです。

 逆に、うやうやしい態度をとったりすれば、両親との関係に距離があることを示していると言えます。イエス様は、神の子どもとして、率直に、父のみもとに行くこと、それが天の国の祝福を味わう秘訣だと教えておられるのです。

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日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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