ロマ書(49)弁解の余地はない

世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。(1:20)
 神様は、ユダヤ人やクリスチャンに対してのみならず、全世界に、ご自分の栄光を現して下さっています。これを通して、すべての人は神様を知ることができるのです。だから、《弁解の余地がありません》と、厳しく語られています。

 しかし、人間は言い訳を考えます。たしかに自然をみて驚き、感動し、不思議な思いにさせられることがある。それが神の栄光の現れだというならば、そうなのだろう。しかし、弁解の余地がない、と言われるほど、明確なものだろうか。おぼろげに、ぼんやりと見えるだけではないだろうか。だからこそ、そこからいろいろな想像をかき立てられ、太陽を拝んだり、偶像を形作ったりするようになったのではないか。聖書も、《目に見えない神の性質》と言っています。《神の永遠の力と神性》は、目に見えないのです。それは、被造物に反映されていたとしても、察することしかできない。見えるものをとおして、見えないものを察するのです。それなら、神様に対する誤解が生じても仕方ないのではないか。弁解の余地がないというのは、言い過ぎではないでか・・・。

 そうではありません。以前にもお話ししましたが、イエス様は、《あながたが、『見える』というところに罪があるのであって、『見えない』というのなら罪はなかった》と仰っています。被造物におぼろげに現された神様の栄光をみて、人間は神様がわかったつもりになってしまう。そして、《滅びることのない神の栄光を、滅びる去る人間や鳥や獣や這うものなどに似せた像と取り替えたのです》、それが言い逃れのできない罪であると言うわけです。

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日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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