ロマ書(162)神は心を見る

それでは、わたしたちは信仰によって、律法を無にするのか。決してそうではない。むしろ、律法を確立するのです。(3:31)

 土居健郎氏は、日本人の贈り物の仕方について語ります。

 日本人は他人に贈り物をする際、それをまず綺麗な紙で包み、更にその上を風呂敷で包んで持参するのを常としたと思われる。もっとも、贈り物を包むことだけなら必ずしも日本人だけとは限るまいが、これを実際に相手に渡す時に口にする挨拶はかなり日本人に独特であったと思われる。というのは、渡す側は「これはほんとうにおしるしです」とか「つまらぬものですが」と云い、中に何が入っているかは明かされなかった。受け取る側も「そんなお心遣いして頂いて」とか何とか礼は云うが、中に何が入っているかは決してその場で聞こうとせず、まして客がいる前で包みを開けたりはしなかった。(中略)なぜなら物を贈るのは心を贈るのであって、物は心のしるしに過ぎない。だから心が肉体に包まれて外からは見えないように贈り物も念入りに包まれねばならぬ。またそうであればこそ受け取った贈り物をすぐその場であけて中を見るのは心なき業ということになる。そうすることにはあたかも相手の心のしるしとして贈り物を受け取るのではなく、ただ中の物だけが目当てであるごとき印象を与えかねないからである。(土居健郎、『表と裏』、弘文堂)

 贈り物の価値は、物にあるのではありません。心あればこそ、それが喜ばれるものになるのです。
 愛や信仰は神様への贈り物です。それは、やはりその裏に隠された心によって、真実になったり不真実になったりするのです。神様が求めておられるのは、立派な行いではなく、まことの心です。教会に行く。聖書を読む。祈る。愛の業に励む。立派な言葉で信仰を証しする。しかし、神様は、その行いの裏をご覧になります。そこにまことの心があるかどうかをご覧になるのです。

日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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