イエス様は地獄のなかにもおられる

この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。
『ヘブライ人への手紙』第4章15節

生活があまりにも過酷で、もう祈れないと感じる時があります。自分の人生に救い主など初めからいなかったのだと思える時があります。「死にたい」「生まれてこなかったほうがよかった」という嘆きだけが、人生の正解であると感じます。そのような時、イエス様が苦難を嘗め尽くされたことを思い起こすようにと、御言葉はあなたに語っています。イエス様は、地獄のなかにもおられるのです。だから、あなたは大丈夫です。不信仰を携えてでもいいから、大胆にイエス様の救いを望み続けましょう。





繰り返し恵みを受ける

わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
『ヨハネによる福音書』第1章16節
もう一度恵みを受けるように・・・
『コリントの信徒への手紙2』第1章16節

あなたはかつてイエス様の御救いの喜びのもとにいました。今、その喜びが消えかかり、思い煩いの日日を過ごしてはいないでしょうか。あなたの信仰が弱くなったのではありません。わたしたちは繰り返し恵みを受けなければならないのです。繰り返しゆるされ、御助けを味わい、新生の恵みを受けて生きるのが信仰生活です。もう一度、恵みを受けるよう祈り求めましょう。イエス様の愛は無限です。世では「仏の顔も三度まで」などと言われますが、イエス様は何度でもあなたに恵みをお与えくださいます。







かごを満たす恵み

集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。
『ヨハネによる福音書』第6章13節

神様は、自分の健康を祈り求めるパウロに、「わたしの恵みはあなたに十分である。」(2コリント12:9)と言われました。不足と思える自分の賜物も、多くの人のかごを満たすのに十分な豊かさをもっているのです。さらに上記の御言葉は、惜しみなくひとの喜びのために自分を献げて仕えるならば、神様ご自身が空になったわたしたちのかごを十分以上のもので満たしてくださることを語っています。ただし、それを味わうことができるのは、自分を尽くして神様と人に仕えたときだけであることを知らねばなりません。自分のために貯えておこうとする者は、神様の恵みの豊かさを味わうことはできないのです。

絶えず祈りなさい

絶えず祈りなさい。
『テサロニケの信徒への手紙1』第5章17節

新年おめでとうございます。
旧年を振り返って、いろいろ反省することもあるでしょう。新しい年はこうしよう、ああしようという抱負や計画もあるかもしれません。過ぎた日々を分析すること、反省すること、将来を予想すること、夢みることは、人間に与えられた素晴らしい賜物です。しかし、絶え間ない思考が思い煩いとなり、悩みとなり、憂いとなっていることも事実です。神様は、考えることよりももっと素晴らしい賜物を与えてくださいました。祈ることです。絶えず考えるよりも、絶えず祈る者になりなさい、と御言葉は勧めています。そうすれば、聖霊が私たちの心や考えが悪い方向に行かないように守ってくださいます(フィリピ4:6)。

祈りの力

イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で振り返り、「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。
『マルコによる福音書』第5章30節

立派に祈らなければ、自分の祈りなど力がないと思う人がいます。そうではありません。長血を患った婦人は、ただ「救われたい」という一心のみで群衆の中から手を伸ばし、イエス様の御衣に触れました。すると、婦人のうちにイエス様の力が流れ込みました。言葉や祈り方が、婦人を救ったのではありません。生けるイエス様の力が婦人を救ったのです。どんな言葉であれ、祈り方であれ、神の力は、イエス様を信じるあなたの祈りを通して、あなたにつながれます。そして、あなたを生かす力になるのです。

日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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