自分のほんとうの願いは何か

あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。
『ピリピ人への手紙』第2章13節(口語訳聖書)

「死にたい」と言っている人が、本当は死にたいわけではないことがあります。あれが欲しいとか、こうしたいとか、私たちにはたくさんの願いがありますが、よく考えて見ると、それは見栄であったり、代用や手段であったり、諦めであったり、他者の願いであったりすることも少なくないのです。心から余計な思いを取り去って、静かな心で自分の本当の願いを考えてみましょう。すると、それは案外シンプルなものであることに気づかされます。それこそ神様が与えてくださった自分の願いです。その願いに、もっと真っ直ぐに、シンプルに生きるならば、そこには必ず神様の御助けがあります。

全能の神を見て生きる

ですから、皆さん、元気を出しなさい。わたしは神を信じています。わたしに告げられたことは、そのとおりになります。
『使徒言行録』第27章25節

船は深い霧に包まれた。ジョージ・ミュラーは船長に言った。「土曜の午後までケベックに着く約束なのですが」船長は、「とても無理です」と答えた。するとミュラーは「では、祈りましょう。私の目は濃い霧を見ていません。私の生涯のすべての事情を支配して下さる神を見ているのです」と答え、ひざまずいて祈った。霧は晴れ、ミュラーは約束通りにケベックに着いた。信じない者は目の前の障害物を見て絶望するが、信じる者はすべてを治め給う神を見て、祈るのである。

祈るだけではなく聞くこと

「どうぞお話しください。僕は聞いております。」
『サムエル記上』第3章9節

神様は、何度もサムエルを呼ばれました。しかし、サムエルは、それを主の声だと気づきませんでした。私たちにも同じことがあるに違いありません。神様の御声は、雷鳴のごとく語られることもありますが、耳を澄まさねば聞こえないほどの小さな、細い声で語りかけられることもあるからです。言い換えれば、さまざまな騒音や我執に心が奪われ、神様の声が聞こえなくなってしまうことがあるのです。神様の声に導かれるためには虚心坦懐が必要です。一日の歩みを始める前に、今日の出来事のうちに御声を聞き分けることができることができるように、神様の助けを祈ろうではありませんか。

確信をもって祈る

   呼び求めるわたしに答え
   あなたは魂に力を与え
   解き放ってくださいました。
『詩篇』第138編3節

神様に願っても与えられないことがあります。しかし、それでも神様は自分の祈りを愛をもって聞いていて下さっているとわかることがあるのです。自分を取り囲む状況は何も変わらなくても、それに対する自分の心に力が与えられるからです。それは神様を信頼するところから来る平安であり、勇気であり、希望です。神様は、私たちの呼び求める声をいつも愛に満ちた心でお聞き下さっています。すぐにお答え下さらないことがあっても、そこにはかならず私たちには計り知れない神様の知恵がおありになるのです。確信をもって祈りましょう。

生涯の祈り

マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
『ルカによる福音書』2章19節

イエス様のお母様となされたマリアは、そのために悩んだり、胸を剣で刺し貫かれるような悲しみを経験しました。しかし、マリアはその一つ一つを黙って心に納めていたと言います。理解できないことも、割り切れない思いも、そのまま心に納めたのです。それが、マリアのあろうとした主のはしための生き方でした。天使ガブリエルに言った「お言葉どおりこの身になりますように」という言葉は、マリアの生涯の祈りだったのです。
日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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