神様と人間を結ぶ道

わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。
『ヨハネによる福音書』14章6節

二つの場所を一つにつないで、そこに交流を与えるのが「道」の役目です。人間は、時にはトンネルを掘り、橋をかけ、海の道、空の道まで切り開き、世界中の場所という場所を結びつける道を敷いてきました。人間には、そのように自分の外部の世界への拡がっていこうとする願望があるのでしょう。しかし、人間の力では決して敷くことができない道があります。それは人間の世界と神様の世界を結びつけ、その交流をもたらす道であります。それは神様が与えてくださった道、イエス様に結ばれる以外にないのです。

休ませてあげよう

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
『マタイによる福音書』第11章28節

体の疲れ、心の疲れが極度になりますと、生きていること自体に疲れを感じることがあります。何もする気がなくなり、どこへでもいいから逃げ出したいと思います。そんな時、イエス様は「おいで、休ませてあげよう」といってくださるのです。疲れ果て、自分らしい輝きが失ってしまった者に、「頑張れ」と励ますのはなく、「もういいよ、休ませてあげよう」と言って下さる。イエス様は、あなたが、もうこれ以上頑張れないほど頑張ってきたことを、ちゃんとわかっていて下さるのです。

絶望する人を尋ね歩かれるイエス

主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。
『ヨハネによる福音書』第5章7節

この人は38年間も病の絶望のなかに座り込んでいました。もちろん、誰かが自分を助けてくれるのではないかと期待もしましたが、それはことごとく失望に終わりました。絶望感によって、彼は「助けてください」と神に求めることさえできない有様でした。彼のように、神に祈ることさえできない人がいます。イエス様は、そのような人を捜し求め、尋ね歩いてお救いくださるお方であると、彼の救いの物語は私たちに伝えています。イエス様は私たちの絶望を打ち砕き、希望に生きる者にしてくださるのです。

歩まれるキリスト

イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、
『マタイによる福音書』第4章18節

いまの時代、自転車や車、あるいは電車にのって移動することがあっても、長い道を歩くことは、とても少なくなっています。しかし、イエス様は、いつも歩かれました。足を埃にまみれさせて、歩かれたからこそ、生活に疲れ切った労働者に、病める人に、道端に坐す物乞いに、体の不自由な人に、いろいろな人々に出会われました。目的地にたどり着くことも大事ですが、その道のりにも見落としてはならないものが、たくさんあります。イエス様は、その前を、脇目もふらず通り過ぎたりはなさいません。かならず目を留め、足を止め、声をかけ、愛をもってひとりひとりに関わりながら、十字架の道を歩まれたのです。

インマヌエルの主

「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
『マタイによる福音書』第1章23節

イエス様は、人々の批判も称賛も気になさらず、そのようなものに左右されなず、ただ天の父の御心だけを思い、それに従うように生きられました。それにもかかわらず、イエス様のご生涯は、あらゆる人と共にありました。イエス様ほど人の思いを知り、共感し、寄り添われた方はありませんでした。イエス様は、私たちの愛に頼ることなく、天の父なる神様に愛をご自身の愛として、人を愛してくださるのです。ですから、イエス様はインマヌエル、「神われらと共にいます」と呼ばれたのでした。
日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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