神の子の願い

神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。
『ローマの信徒への手紙』第8章14節

人がもつ信仰は、もしかしたら、人間的な信念や願望に過ぎないかもしれません。そうではなく、神の霊に導かれているのだという確信は、どうしたらもつことができるでしょうか。肉の願いは、誰もが願うことを願います。夢が叶うこと、正しさが認められること、プライドが保たれること、要するに自分が満たされることです。しかし、神の霊は、肉の願いが決して願い得ない願いへと、私たちを導きます。それは、私たちが、キリストと共に十字架につけられるということです。そのうような願いに生かされる者が、神の霊によって導かれる者だと言えるのです。

心貧しい者

心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
『マタイによる福音書』第5章3節

心に迷いがある人、何かにつけ悲観的な人、心配が絶えない人、愛し方がわからない人、劣等感を脱出できない人・・・そして大事なことは、そのような自分を開き直るのではなく、そこから救われることを常に乞い求めている人。それが心が貧しい人々ではないでしょうか。開き直りは自己義認であって、決して打ち砕かれた貧しい心とはいえないのです。イエス様の言葉は、こう語りかけています。自分に自信を持つ必要はありません。自分ではなく、あなたの救い主に信じ、その方に身を寄せて生きなさい、と。

賜物にきづいているか

だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
『マタイによる福音書』第25章29節

自分は何も持っていないと嘆く人がいます。ほんとうに何もないのでしょうか。自分で気づかず、顧みもしないままに、自分のなかに埋もれている何かあるのではないでしょうか。神様はすべての人に、それぞれふさわしい賜物を与えてくださっています。それに気づかぬまま過ごしてはいけません。与えられている賜物の価値に気づかない人は、「自分は何も持っていない」と嘆いているうちに人生を終わってしまいます。しかし、自分に与えられているものに気づき、それを用いる道を知るならば、かならずその価値の大きさを知るようになり、神様に感謝の日日を喜びをもって生きることができるようになるのです。

神の目的に生きる

わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。
『エフェソの信徒への手紙』第2章10節

私たちが救われたのは、幸福なるためではありません。平和な日々を過ごすためではありません。幸せも、平和も、私たちに与えられるでしょう。しかし、それで終わりではないのです。神様が、私たちの罪を赦し、新しいいのちを与えてくださったのは、良い業を行うためです。良い業とは、神様が、私たちのためにあらかじめ備えてくださった人生の目的です。苦労があるとも、それを生きてこそ、自分のほんとうの命を生きることができるのです。

自分のほんとうの願いは何か

あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起させ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。
『ピリピ人への手紙』第2編13節(口語訳聖書)

「死にたい」と言っている人が、かならず死にたいと思っているわけではありません。同様に、私たちにたくさんの願いがありますが、よく考えて見ると、それは見栄であったり、代用や手段であったり、諦めであったり、他者の願いであったりすることが少なくないのです。心からそのような余計な思いを取り去って、静かな心で自分の本当の願いを考えてみましょう。すると、それは案外シンプルなものであることに気づかされます。それこそが神様に与えてられた自分の願いです。その願いに、もっと真っ直ぐに、大胆に、シンプルに生きるならば、必ず神様の御助けが伴うことが約束されているのです。
日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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