神様が導いておられる

どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。
 『民数記』第14章3節

約束の地カナンを目前にして、民は足がすくみました。そこには自分たちよりも強い人々が先住していたからです。彼らは失望し、嘆き、モーセに不満をぶつけました。自分では太刀打ちできない困難のなかで、私たちも「どうして神様は私をこんな窮地に立たせるのだろうか」と訴えたくなります。しかし、神様が導かれたというならば、そこは神様が主役となられ、その全能の御力とあふれるばかりの恩寵が表される舞台なのです。神様は私たちを救い出して下さるだけではなく、生涯忘れることができない素晴らしい出来事を見せて下さるに違いありません。

神さまから吹く風

風は思いのままに吹く。
『ヨハネによる福音書』第3章8節

人生には様々な風が吹きます。心地よい風もありますが、思いもよらぬいたずらをして過ぎてゆく風もあります。大切なものを吹き飛ばしてしまう強風、行く手を阻むように吹く逆風があります。私たちはそれらの風を選ぶことも、風を操ることもできません。《風は思いのままに吹く》からです。しかし、聖書から《風》という言葉を拾い出して読んでみて下さい。すべての風は、神様のもとから吹き、神様の御心を行っていることが分かります(例 民数記11:31)。また、イエス様はその風をご支配することができるお方であることも分かります(例 マタイ8:27)。人間にとってままならぬ、やっかいな風も、実は神様の御心と御業を行うために吹く風なのです。

神の恩寵の舞台

どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。
 『民数記』第14章3節

約束の地カナンを目前にして、民は足がすくみました。そこには自分たちよりも強い人々が先住していたからです。彼らは失望し、嘆き、モーセに不満をぶつけました。自分では太刀打ちできない困難のなかで、私たちも「どうして神様は私をこんな窮地に立たせるのだろうか」と訴えたくなります。しかし、神様が導かれたというならば、そこは神様が主役となられ、その全能の御力とあふれるばかりの恩寵が表される舞台なのです。神様はそこから私たちを救い出して下さるだけではなく、その場所を生涯忘れることができない素晴らしい出来事を見せて下さるに違いありません。

絶望してはいけない

わたしはすべての山に道をひらき
広い道を高く通す。
 『イザヤ書』第49章11節

人生の行く手に、自分には越えることができないと思える山が、そびえて見えることがあります。そのような時こそ、わたしたちの信仰が試される時なのです。自分の知恵や力、努力や気力によっては、もはや希望をつなぐことができないと思えるとき、けっして絶望してはいけません。「わたしはすべての山に道をひらく」と仰って下さっている神様を信じ、神様の知恵と力によって希望を持つ者となりましょう。試練は、わたしたちを試すだけではありません。わたしたちを清め、鍛え、強くするのです。

主が心の扉を叩いている

見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
『ヨハネの黙示録』第3章20節

クリスチャンの願いは、心のうちにいつもイエス様との親密な交わりを実感していることです。しかし、御言葉は、私たちがそれを願うより先に、イエス様が私たちとの交わりを願い、心の扉を叩き続け、内側から扉を開くのを待っておられると教えています。心の扉を、イエス様に開き、イエス様をお迎えしたいと願いのは、そのノックの音を聞くからなのです。悩み、悲しみ、空虚感、失望感・・・それこそ、イエス様があなたの心の扉を叩く音ではないでしょうか。
日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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