大丈夫

 イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
『マタイによる福音書』第14章27節

子どもの頃、毎日、いろいろな恐れがありました。母は、わたしのいろいろな心配に、いつも「大丈夫だよ」と笑って励ましてくれました。母を見ながら、大人になれば何も怖くなくなるのかと思っていましたが、そうではありませんでした。相変わらず人生は恐れや不安に満ちています。頼りに思えた親も、実際は怖れや不安と戦いながら生きていたのだともわかりました。それでも子どもに安心を与えることができたのは、信じさせてくれる愛があったからです。いまはイエス様が、大きな愛をもって、私に「大丈夫だよ」と語りかけてくれます。

主よ、見えるようにしてください

さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。
『ヨハネによる福音書』第9章1節

イエス様がごらんになったら、私たちはみな、《生まれつき目の見えない人》であるかもしれません。私たちの目には、私たちに注がれている天の父の愛も、私たちを取り囲んでいる救い主の恵みも見えないからです。私たちは闇のなかに生まれ、闇のなかに生きています。もし、見えるようになったならば、私たちの世界も、人生も、一変するに違いありません。しかし、私たちが見えないのは、生まれつきです。見えるようになるために、神様の憐れみと奇跡が必要です。

いら立つな

悪事を謀る者のことでいら立つな。
怒りを解き、憤りを捨てよ。
自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。 
『詩編』第37編1節、8節

他人にいらいらすることがあります。怒り、嫉妬、不満、失望などが、心のなかで熱せられ、抑えられなくなるのです。たしかに、問題は相手にあるのかもしれません。しかし、過度に熱くなってはいけないと、御言葉は警告します。熱くなれば、信仰者として冷静に振る舞うことができなくなます。神様にではなく、自分の気持ちに従ってしまうという過ちを犯します。そこから良い結果は生まれません。主に信頼し続けることなしに、私たちが善い業を行い続けることはできません。主がすべてを支配して下さるように祈り、待ち望み、信頼するべきなのです。

ほんとうの必要

神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。
『コリントの信徒への手紙1』第1章30節

 イエス様は「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」(ヨハネ15:5)と言われました。これが文字通り事実であることを、私は日々経験しています。他方、上記の御言葉は、イエス様につながることは神の知恵、義しさ、聖さ、贖いの恵みに結ばれることであると告げます。生きるために何か他に必要なものがありましょうか。この中に私たちの必要の一切があります。それに気づくならば、私たちの唯一の必要は、イエス様に結ばれた生活であると断言できることでしょう。

神様が導いておられる

どうして、主は我々をこの土地に連れて来て、剣で殺そうとされるのか。
 『民数記』第14章3節

約束の地カナンを目前にして、民は足がすくみました。そこには自分たちよりも強い人々が先住していたからです。彼らは失望し、嘆き、モーセに不満をぶつけました。自分では太刀打ちできない困難のなかで、私たちも「どうして神様は私をこんな窮地に立たせるのだろうか」と訴えたくなります。しかし、神様が導かれたというならば、そこは神様が主役となられ、その全能の御力とあふれるばかりの恩寵が表される舞台なのです。神様は私たちを救い出して下さるだけではなく、生涯忘れることができない素晴らしい出来事を見せて下さるに違いありません。
日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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