何をしていいかわからない時

神である主、イスラエルの聖なる方は、こう仰せられる。「立ち返って静かにすれば、あなたがたは救われ、落ち着いて、信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたは、これを望まなかった。
『イザヤ書』第30編15節

窮地にあって、私たちの心は震え、混乱します。何もしないでじっとしていることはできないのですが、何ができるのか、何をすべきなのかがわかりません。神様に祈っていても、祈っているだけでは十分ではないのではないかと、心が落ち着きません。そのような時こそ、神様に信頼して、心を静かにすることが必要です。私たちを救うのは、世の知恵や力ではありません。まして自分の知恵や力でもありません。独り子さえ惜しまずお与えくださる天の父なのです。神様の愛と力に立ち帰ることに、私たちの力があります。





落ち着いて主の救いをみる

恐れてはならない。落ち着いて、今日、あなたたちのために行われる主の救いを見なさい。
『出エジプト記』第14章13節

これは、神様が奇跡をもって紅海をふたつに分けられる直前に、モーセがイスラエルの民に言った言葉です。あなたが見るべきものは、目の前にひろがる海ではない。その深さでもなく、そこを渡る船がないことでもなく、後ろから迫るエジプト軍でもなく、あなたがたをここまで導かれた主の深き御心、力ある御業を見なさい、とモーセはいいます。わたしたちに救いを与え、平和を与えて下さる主を仰ぎ見て、信頼するならば、かならず主の業を見ることになります。


主に頼れ

それでもなお、モーセは主に言った。「ああ、主よ。わたしはもともと弁が立つ方ではありません。あなたが僕にお言葉をかけてくださった今でもやはりそうです。全くわたしは口が重く、舌の重い者なのです。」
『出エジプト記』第4章10節

仕事が重すぎることがあります。立ちはだかる仕事にどうチャレンジしたらいいのかわからず、自分には無理だということしか考えられません。あなたは自分の力の限界を知っています。しかし、神様の御力を知りません。あなたは自分を低く評価しすぎているのではありませんが、神様を低く評価しすぎているのです。主は言われます。「一体、誰が人間に口を与えたのか。一体、誰が口を利けないようにし、耳を聞こえないようにし、目を見えるようにし、また見えなくするのか。主なるわたしではないか。」と。主が与え給う仕事であるならば、主が助け給います。







混沌を覆う聖霊

地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
『創世記』第1章2節(口語訳)

なぜ、こんなことが起こるのか? いつになったら平和な状態が回復するのか? これから先、いったいどうして生きていったらいいのか? こんな嘆きが絶えないほど、この世界も、私たちの人生も、混沌としており、深い闇が覆っています。しかし、そのような混沌や闇を、神の霊が覆っていると、御言葉は告げています。その意味することは何でしょうか。いまの混沌や闇は、神様の新しい創造の御業が始められるための備えの時である、ということではないでしょうか。聖書が、冒頭からこのような希望を語っていることはなんと素晴らしいことでしょうか。

恵みの種子

わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。
『ローマの信徒への手紙』第5章3-4節

今までに経験したつらい出来事を幾つか思い出してください。その出来事はあなたを人間としてダメにしたのではなく、より大きく深い生き方へと成長させたのではないでしょうか。どんなにつらい出来事にも、その中には神の恵みが隠されています。その恵みは喜びや楽しみとは質を異にしますが、私たちを変え、成長させ、目を開かせる力をもった種子のようなものです。試練のなかでこそ、この恵みの種子は芽を出し、成長します。そして、私たちをさらに大いなることを望み得る懐の深い人間にしてくれるでしょう。

日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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