新しい人間として生きる

だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
『コリントの信徒への手紙2』第5章17節

神様は、イエス様を信じる者たちを、天地を創造されたあの時の御力をもって、まったく新しい人間に造りかえてくださいます。私たちはすでに新しい人間なのです。何も変わっていないと思いますか? そうかもしれません。しかし、私たちが自分を変えたのではありません。神様がわたしたちを変えてくださったのです。神様から見れば、私たちはもはや罪のうちに滅びゆく人間ではなく、やがて御国を受け嗣ぐ神の子らです。そのようなものとして、私たちは生きているのです。

まことの王がおられる

今あなたは何ゆえわめき叫ぶのか、あなたのうちに王がないのか。あなたの相談相手は絶えはて、産婦のように激しい痛みがあなたを捕えたのか。
『ミカ書』第4章9節(口語訳)

遙かなる天に目をやり、神様にわめき叫ぶ神の民がいます。取り囲む敵、立ちはだかる障害物、自分が持てる力の貧しさに絶望しています。しかし、神様は語られます。「あなたには真の王がいるではないか。霊に満ちた相談相手がいるではないか」と。そうです。私たちにはイエス様がおられます。イエス様が王として、相談相手として、世に来て下さったのです。あらゆる助けと希望が、彼のもとにあります。クリスマスは、その喜びの日です。わたしたちは、もはや救いなき者のようにではなく、救い主を知り、迎え入れた者として、神様を讃美することができるのです。

主を待ち望む

祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように 
『テトスへの手紙』第2章13節

わたしたちは現にイエス様の救いの中に生き、その恵みを味わっています。悩みの日にも恵みを見いだすことができますし、誰にも理解されない孤独の中でも、私を愛してくださる御方を感じることができます。しかし、もっと素晴らしい日が来ます! それは、神様が見えない御方ではなくなり、イエス様が隠れた御方ではなくなる日です。その日が来たときには、どんな素晴らしいことが起こるでしょうか。それはまったく新しい日です。すべてが変わる日です。想像だにできない完全な救いの日です。私たちクリスチャンは、その日を、すなわち《キリストの栄光の現れを待ち望むように》と、御言葉は私たちに呼びかけています。








愛と平和の福音

そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。
『マタイによる福音書』第3章1-2節

自分で自分を救おうとする、守ろうとする。すると、それが互いにぶつかり合い、分裂や争いを繰り返す原因となります。結局、傷つけ合うことになるのです。そんな愛なき平和なき人の世に、「天の国は近づいた」との御言葉が告げられました。もはや、自分で自分を守ろうとし、救おうとし、傷つけ合う必要はなくなる。なぜなら、神ご自身がわたしたちの王として御業を振るい、救いを与えてくださる日が来るからです。愛と平和の訪れの預言です。その日は、イエス様の来臨と共に実現します。

愛に気づく

キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
『コリントの信徒への手紙2』第5章17節

私はクリスチャンとなっても罪に悩み、劣等感で自分を傷つけ、ひとを批判することをはけ口として生きていました。どうしたらクリスチャンらしく生まれ変わることができるのか。新しい人生を求めれば求めるほど、絶望感でいっぱいになりました。しかし、ある時、聖霊様によって気づかされたのです。わたしはこのままで、すでにイエス様の愛の中に生かされているのだ、と。その瞬間、イエス様の愛が堰を切ったように心を満たしはじめ、歓喜が溢れてきました。努力して新しく生まれることはできません。愛に気づくことこそが大事だったのです。イエス様が罪深い古い自分をゆるし、ご自身の愛のなかに新しいわたしを生まれさせてくださったことは、私たちの事実です。

日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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