三位一体の神

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。
『コリントの信徒への手紙2』第13章13節

天の父なる神様の愛だけを知ってもいても駄目です。わたしたちに内在する罪をご自身の血で清めてくださるイエス様の贖いの恵みを知らなければ、天の父の愛を確信することができないからです。天の父の愛とイエス様の贖いを知っているだけでも駄目です。聖霊様との交わりによって、はじめてそれが私たちの霊的な出来事となるからです。天の父なる神の愛、十字架のイエス様の贖い、慰め主なる聖霊との交わり、この三つによって生かされる者となること、それがクリスチャンとなることです。

謙遜の道を歩む

破滅に先立つのは心の驕り。名誉に先立つのは謙遜。
『箴言』第18章12節

感謝の言葉を受けると花園にいるような思いがするが、不平不満を聞くと有毒ガスにあてられたような気がすると言った人がいます。言い得て妙とはこのことでしょう。自分が不平不満の有毒ガスにあてられるときもあれば、自分から有毒ガスが出ているときもあります。自分が被害者だと思うから不平不満を出てくるのですが、有毒ガスの発することによって自分も加害者になっているのです。自省してみると、不平不満が多いときは、自分が傲慢になっている時です。心のなかで他者を見下している時です。誰にでもそんな時がありますが、イエス様を思い起こし、自分を省みて、謙遜の道を歩む者になりたいものです。

信仰の冒険

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
『マタイによる福音書』第6章33節

「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」(ルカ10:41)と、イエス様はマルタにおっしゃいました。あれこれと心をもちい悩み疲れている自分に言われていることのように感じる人は少なくないでしょう。イエス様は、あれこれと悩むのではなく、一切を来るべき神の国への祈りに集中させ、そのためにすべてを捧げよと教えられます。他の一切はどうでもいいことだ、といわれるのではありません。これを徹底すれば、他の一切は神の国の恵みとして、あなたに与えられると断言されるのです。そうなるかならぬか、信じて任せる以外に道はありません。信仰生活とは、イエス様を信じる冒険の人生です。

信仰による「今」を生きる

このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
『ローマの信徒への手紙』第5章2節

信仰は、イエス様の十字架の恵み、復活の勝利さらには御教えを想起し、その感謝に立って「今」を生きることです。この信仰に立って生きるとき、わたしたちの「今」は、過去の恩寵を想起するだけではなく、来たるべき日の喜びを望み見る「今」になります。これがキリスト者の生きる「今」なのです。たとえ苦難に満ちた「今」であろうと、すでに与えられた恩寵と来たるべき恩寵が出会う「今」である。だから、悩み、苦難の尽きざる「今」であろうとも、主のお陰なる感謝と栄光に与る希望を忘れずに生きようはありませんか。

思い煩うな

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
『マタイによる福音書』第6章28節

私たちの日々のいのちをつくるのは、思い煩いでも、労働でもなく、天の父なる神様です。鳥や、花は、人間のように思い煩うことはありません。日々、神様が与えてくださるものを受け取り、それによって生きているのです。人間が思い煩うのは、神様なしに、自分の知恵と力で生きようとするからです。なぜ、神様に期待しようとしないのでしょうか。神様の愛を知らないからです。神様は、鳥や花ばかりではなく、私たちのいのちに心をかけ、その必要を与えてようととしてくださっています。「神様、今日もよろしくお願いします」と言って、一日を始めようではありませんか。
日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

リンク
最新記事
カテゴリ
最新コメント
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
FC2カウンター
QRコード
QR
グーバーウォーク
検索フォーム