イエス様に感謝する

そこにいた人の何人かが、憤慨して互いに言った。「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。 この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに。」そして、彼女を厳しくとがめた。
『マルコによる福音書』第14章4-5節

イエス様を救い主として知る者にとって、300枚の銀貨を惜しみなく捧げることは、けっして《無駄遣い》ではありません。イエス様は、あなたに神の愛と保護と希望を与えてくださいました。それに対して、ベタニアの女は自分がもてるものの中で一番ふさわしいと思うものをイエス様に捧げました。それがナルドの香油です。しかし、もし彼女の家にそれ以上のものがあったら、迷わすそれを捧げたことでしょう。私たちはイエス様を崇めるために何をもっているでしょうか。礼拝とはそれを捧げることです。

恵みに答える信仰生活

イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。
『ヨハネによる福音書』第21章15節

ペトロは背ける弟子です。一度ならず二度三度と「イエス様など知らない。わたしとあの人は関係ない」と強く言い放った弟子です。ペトロは、もはや弟子を名乗る資格を失った者だと言えましょう。そのような者に、イエス様は「わたしを愛するか」と呼びかけてくださいました。「だれよりもわたしを愛するか」と真実の愛を期待してくださいました。私たちも、クリスチャンだと胸を張れないことがたくさんあります。それでも、イエス様はわたしたちの愛を問い、わたしたちがイエス様に対する愛を表すことを求めてくださっているのです。それに応えるのが私たちの信仰者としての人生です。

三位一体の神

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。
『コリントの信徒への手紙2』第13章13節

天の父なる神様の愛だけを知ってもいても駄目です。わたしたちに内在する罪をご自身の血で清めてくださるイエス様の贖いの恵みを知らなければ、天の父の愛を確信することができないからです。天の父の愛とイエス様の贖いを知っているだけでも駄目です。聖霊様との交わりによって、はじめてそれが私たちの霊的な出来事となるからです。天の父なる神の愛、十字架のイエス様の贖い、慰め主なる聖霊との交わり、この三つによって生かされる者となること、それがクリスチャンとなることです。

謙遜の道を歩む

破滅に先立つのは心の驕り。名誉に先立つのは謙遜。
『箴言』第18章12節

感謝の言葉を受けると花園にいるような思いがするが、不平不満を聞くと有毒ガスにあてられたような気がすると言った人がいます。言い得て妙とはこのことでしょう。自分が不平不満の有毒ガスにあてられるときもあれば、自分から有毒ガスが出ているときもあります。自分が被害者だと思うから不平不満を出てくるのですが、有毒ガスの発することによって自分も加害者になっているのです。自省してみると、不平不満が多いときは、自分が傲慢になっている時です。心のなかで他者を見下している時です。誰にでもそんな時がありますが、イエス様を思い起こし、自分を省みて、謙遜の道を歩む者になりたいものです。

信仰の冒険

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。
『マタイによる福音書』第6章33節

「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」(ルカ10:41)と、イエス様はマルタにおっしゃいました。あれこれと心をもちい悩み疲れている自分に言われていることのように感じる人は少なくないでしょう。イエス様は、あれこれと悩むのではなく、一切を来るべき神の国への祈りに集中させ、そのためにすべてを捧げよと教えられます。他の一切はどうでもいいことだ、といわれるのではありません。これを徹底すれば、他の一切は神の国の恵みとして、あなたに与えられると断言されるのです。そうなるかならぬか、信じて任せる以外に道はありません。信仰生活とは、イエス様を信じる冒険の人生です。
日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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