信仰による「今」を生きる

このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
『ローマの信徒への手紙』第5章2節

信仰は、イエス様の十字架の恵み、復活の勝利さらには御教えを想起し、その感謝に立って「今」を生きることです。この信仰に立って生きるとき、わたしたちの「今」は、過去の恩寵を想起するだけではなく、来たるべき日の喜びを望み見る「今」になります。これがキリスト者の生きる「今」なのです。たとえ苦難に満ちた「今」であろうと、すでに与えられた恩寵と来たるべき恩寵が出会う「今」である。だから、悩み、苦難の尽きざる「今」であろうとも、主のお陰なる感謝と栄光に与る希望を忘れずに生きようはありませんか。

思い煩うな

野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。
『マタイによる福音書』第6章28節

私たちの日々のいのちをつくるのは、思い煩いでも、労働でもなく、天の父なる神様です。鳥や、花は、人間のように思い煩うことはありません。日々、神様が与えてくださるものを受け取り、それによって生きているのです。人間が思い煩うのは、神様なしに、自分の知恵と力で生きようとするからです。なぜ、神様に期待しようとしないのでしょうか。神様の愛を知らないからです。神様は、鳥や花ばかりではなく、私たちのいのちに心をかけ、その必要を与えてようととしてくださっています。「神様、今日もよろしくお願いします」と言って、一日を始めようではありませんか。

信じてはならない

人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。
『マタイによる福音書』第24章26節

主は「信じてはならない」と言われました。信仰とは、何でもかんでも信じることではなく、信ずべきものを信じることなのです。そのためには、いろいろなことを疑うことも大切です。自分が「絶対」と思いこんでいることはほんとうに絶対だろうか。「駄目だ」と思っていることはほんとうに駄目なのだろうか。世間では「備えあれば憂いなし」「一番大切なものは健康」とまことしやかに言われているが、それは本当だろうか。「イエス様こそ救い主である」という動かすことができない真理にに矛盾することを安易に信じていないだろうか。ほんとうの信仰は、自分を疑い、世間を疑い、イエス様を信じるのです。

愚直さ

偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。
『マタイによる福音書』第24章11節

神のしもべを自認しながら、巧みにキリストを否定する者たちが偽預言者です。彼らの敵意は当然、私たちキリスト者に向けられます。そのような敵意に屈せず、キリスト者がキリスト者であり続けるために必要なことは何でしょうか。先ず主はいつもそのような敵意に身に負い、愚かな者、田舎者、冒涜する者と非難され続けたことを覚えなければなりません。私たちは文化的であるとか、知的であるとか、倫理的であるとか、そのような世の基準ではなく、愚直なまでにキリストの御言葉に固執することで造り上げられる者でありましょう。それが偽預言者の影響を免れる道なのです。

感謝をしよう

もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です
『テモテへの手紙一』第6章6節

勤労には、報酬があります。大きな報酬を得たいならば、誰もしたくない仕事をするか、人よりも多くの働きをするべきです。しかし、信仰は勤労ではありません。信仰は、イエス様の血潮の恵みによって、無償で与えられた恵みに応えるための道です。信仰によって恵みを得るためには、まず恵みに感謝をすべきであると、御言葉は教えるのです。信じても何も良いことがないではないか、と不満に思う人は、与えられているものに感謝する心を思い起こしましょう。そのような信仰こそ、私たちの生を豊かにする最善の道なのです。
日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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