愛に気づく

キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
『コリントの信徒への手紙2』第5章17節

私はクリスチャンとなっても罪に悩み、劣等感で自分を傷つけ、ひとを批判することをはけ口として生きていました。どうしたらクリスチャンらしく生まれ変わることができるのか。新しい人生を求めれば求めるほど、絶望感でいっぱいになりました。しかし、ある時、聖霊様によって気づかされたのです。わたしはこのままで、すでにイエス様の愛の中に生かされているのだ、と。その瞬間、イエス様の愛が堰を切ったように心を満たしはじめ、歓喜が溢れてきました。努力して新しく生まれることはできません。愛に気づくことこそが大事だったのです。イエス様が罪深い古い自分をゆるし、ご自身の愛のなかに新しいわたしを生まれさせてくださったことは、私たちの事実です。

(172)天命を信じて人事を尽くす

もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。(4:2)

 人間の罪深い世界に、神様が御国の種を蒔かれ、それが育って御国が実現する。楽観的すぎる歴史観だと思われるかもしれません。けれども、人間の愛とか、善意とか、熱心とか、知恵とか、力とか、そういうものを持ち出して、それで人間の歴史をハッピーエンドにしようとするほうが、よっぽど楽観的な歴史観だと思います。

 聖書は、人間の罪の歴史に対しては、どんな希望も持っていません。これまで読んできた『ローマの信徒への手紙』から拾い出しても、《不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを洗わされます》(1:18)と言われています。人間は、神様の働きを妨げることばかりしてきた。それに対して神様は怒っているのです。《正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。》(3:10~12)とも言われています。さらに、《人間は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっています》(3:23)と語られます。

 人間にまったく絶望しているからこそ、全知全能の神を信じ、その恵みによりすがるのです。聖書を信じるのです。それが信仰です。けっして楽観ではありません。信じるほか、生きるすべがないのです。

 私たちは信じているのは、絵に描いた餅ではありません。鰯の頭でもありません。生ける神です。ですから、信じると、生きる力が湧いてきます。よく「人事を尽くして天命を待つ」と言います。やるだけのことをやったら、あとは運を天に任せる。これは信仰ではありません。信仰とは、天命を信じて、人事を尽くすのです。神様を信じるから、生きる力、希望が湧いてきて、自分らしく、力を尽くして生きることができるようになる。これが信仰です。

あなたの生涯に与えられた約束

イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。
『マタイによる福音書』第6章6節

人の世は、危険や誘惑にさらされ、けっして安心できる場所がない荒れ野のようです。それはあなたの人生の現実でもあるのではないでしょうか。しかし、イエス様は、その荒れ野の危険も誘惑も身をもって経験されました。イエス様は、荒れ野の厳しさを経験され、それに打ち勝たれた御方として、あなたの荒れ野にも共にいてくださると約束してくださっています(マタイ28:20)。現実がどのように厳しいものであっても、イエス様が共にいてくださるということこそが、あなたの生涯に与えられた約束なのです。イエス様はあなたを愛しておられます。あなたのすべての悩みを知っていてくださいます。イエス様が共にいてくださる心強さが、あなたの全生涯を支配しますように。

ロマ書(171)蒔かれた神の国の種

では、肉によるわたしたちの先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか。(4:1)

 イエス様は、成長する種のたとえのすぐ後で、もうひとつたとえをお話しくださいました。

更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」(『マルコによる福音書』第4章30~32節)

 神の国の種は、どんな種よりも小さいのです。人の目にとまらないほど小さいのです。その小さな種が、人間の《夜昼寝起きしているうちに》、つまり人間が罪の歴史を積み重ねる日々に明け暮れているうちに、どんどん成長し、背丈を伸ばし、枝を張り巡らし、ついには神の正義と愛に満ちた、平和と喜びの国なる神の国が、この世に実現する、というのです。

 まるで夢のような話です。人間の歴史は、そんなハッピーエンドとは思えない。いつか最終戦争が起こって、全人類が破滅する。そんな終末の方がピンときます。イエス様は、人間の善意とか、愛とか、知恵とか、努力とか、そういうものを、そんなに高く買っているのか。そうではありません。人間の罪深い歴史にもかかわらず、かならずこのような神の国が来る。それは、人間の罪に埋もれた歴史の奥深くに、人間によってではなく、神様によって蒔かれた種があるからなのです。それが、成長し、枝を伸ばし、ついには神様の栄光で、この世を包むのです。

父に祈りなさい

奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。
『マタイによる福音書』第6章6節

本音を大きな声で叫びたいのを、じっと我慢して暮らしている人がいます。声を出さないように抑えつけられている人。声を出しても相手にされないと諦めている人。どこに向かって、誰に向かって叫んだらいいのかわからないでいる人。イエス様は教えてくださいました。天に向かって、『お父さん!』と叫びなさい、と。神様は、あなたのどんな叫びも、あなたの気持ちに寄り添い、聞いてくださいます。否、あなたの胸の内にある本音を、ぜんぶ聞きたいと願っておられます。あなたをその鬱屈から解放し、神の子としての喜びをもって生きる者にしたいと願われているのです。

日本基督教団 荒川教会

牧師 国府田祐人

Author:牧師 国府田祐人

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